リメイク と ビギニング

悪魔のいけにえ』のリメイクである『テキサス・チェーンソー』の続編である『テキサス・チェーンソー ビギニング』を観た。
続編というか『テキサス・チェーンソー』の前日譚という感じ。“ビギニング”ですから。『バットマン』のビギニングみたいに、レザー・フェイスとして覚醒する過程がちょっと描かれたり。


おおまかなストーリーは例によって、殺人鬼の生活圏内を車で通りかかった若者たちが、状況判断甘くいつまでもその辺りをうろうろしては順番に殺されていくお話。若者を順番に屠っていき、動かなくなった体を地下室にしまってしまうので残された人間には生死の判断がつかず行動に迷ってしまうわけで。スラッシャー映画の仕組みはよくできているなと感心します。
敵兵を狙撃するときに殺さないように撃って、助けに現れる兵士を狙って撃つ、ってのは何の戦争映画だっけ? 『プライベート・ライアン』にもそんなシーンがあったような気がするけど。


しかし今作は“ビギニング”なので、あの変態一家が存続することが分かっているわけですよ。つまり変態一家に関わった人間は全員死亡するか、それに等しい状態に陥ることが観る前から明らかなわけで。なんかただただ若者たちが哀れであんまりドキドキしない。
なんでこんな人が殺されるだけの映画観てるんだろオレ、と上映中にふとわれに返ったりしました。

わざわざ作らなくてもよかっただろうにといった感じの蛇足っぽい作品ですが、いちおう『テキサス・チェーンソー』と辻褄を合わせるような話も盛り込まれていてそこそこ楽しめます。なんでジュニアが保安官なのかということや、じいさんの両足が切断されている理由とか。
この後前作をDVDで観たんですが、保安官の前歯は義歯なんだよっていうシーンもありましたね。覚えてなかったよ、そんなの。


テキサス・チェーンソー』のコメンタリーは、なかなか興味深いことを言ってましたよ。
エド・ゲインすげー。あいつがいなかったら『サイコ』も『悪魔のいけにえ』も『羊たちの沈黙』も生まれてないんだよね。実際殺したのは2人だけだけど。みたいな。いや、もっと冷静に語ってましたけどね。コメンタリーだし。
精肉工場で妊婦が産気づくシーンを撮りたかった、という話もあって、これが『テキサス・チェーンソー ビギニング』でのレザーフェイス誕生に受け継がれているのかな?

これはただのフーパー版のリメイクではない。
新版『ヘンゼルとグレーテル』だ。おとぎ話さ。
子供が森で魔法使いの家に迷い込む。魔法のほうきの代わりがチェーンソーだ。
この映画を酷評した人々に聞きたい。
ヘンゼルとグレーテル』を否定する気か?

チェーンソーのスターターを引っ張りながら「I believe I can fly」と口ずさんでいるレザーフェイスを想像して顔がにやけたり。しかし言いたいことは分からんでもないけど、『テキサス・チェーンソー』を否定したからって『ヘンゼルとグレーテル』を否定したことにはならんだろうと思う。

これは娯楽なんだ R指定になっているから分別ある大人むけの娯楽だ。
子供に見せるべきではない。子供は現実と作り話の区別がつかないからね。

世の中には分別の無い大人もいるから困るんだよな。
悪魔のいけにえ』もまた観よう、そのうち。

テキサス・チェーンソー
よくできてるよね、これ。